杜の都仙台に出張となれば確実に食べたいな~と思うのは「牛たん」
現在では日本全国で牛たんを焼いたメニューを出す店が多くあるので、別に仙台で食べた無くても、、、と思う反面、名物となっているからには食べておきたい。と思う方が多いと思います。
この牛たんを焼いて食べる。というメニューを仙台で初めて出したと言われているお店が、「味太助」
ルーツを巡る趣味がある方は、仙台での牛たんは味太助を利用してみても面白いかもしれません。
最初に予備知識。仙台で食べる牛たんは別に和牛のタンではない。
良くある勘違いなのですが、仙台名物牛たん、と聞くと、歴史もあるし有名だし、仙台牛及び宮城県や山形県などの周辺の和牛の牛たんを使っているからこそのご当地名物なのかな?と考える人が多くいます。特にブランド牛ともなっている仙台牛のタンをたべられるのではと思う人が多いようです。
しかし、牛たん焼が生まれた時代は国産の牛のタンを利用していたと思いますが、現在では多くの店でアメリカ産・オーストラリア産などの外国の牛のタンを利用しています。
外国産の牛のタンだから美味しくない。という訳ではなく、外国産のタンも非常に美味しいわけですが(柔らかく肉厚にカット出来てすばらしい)、
何が言いたいかと言うと、
仙台で食べても使っている材料は普段食べているであろうタンと変わらない。という点です。
仙台で牛たんを食べる際には、この点を押さえておかないと後で知って悲しい気持ちになるので、覚えておきたい知識です。
昭和20年代に確立された仙台牛タン焼。元祖のお店が味太助。
仙台で牛たんが食べられるようになったいきさつは諸説あります。
米軍で食べていた牛のあまりものであったタンを活用した説
味太助が言うように、山形まで買い付けに行ってたん焼の店を出した説
等ありますが、真偽のほどは不明です。
(個人的にはお店には申し訳ないですが、当時の状況を考えても、朝に山形まで買い付けに行っていたとういのはにわかに信じがたいので、現地調達したのではないかと思っています。)
実際にわかっていることを上げると、味太助により昭和20年代頃に仙台にて牛たん焼専門店という店が開業したという点です。
昭和二十三年、仙台市中心部に牛タン焼きの専門店を開き、全国にその味を広めたことによる。
出典:味太助
昭和23年に仙台市にて店をオープンし、メニューに牛たん焼が掲載されたのが、昭和25年(1950年)と言われています。
現在では、味太助だけではなく仙台市内にはたくさんの牛たん屋があります。その都市の名物を作り上げた味太助は非常に重要なお店だと言えます。
味付けは塩コショウのみのストロングスタイル。
味太助から始まった仙台の牛たんですが、味付けは塩・胡椒のみのストロングスタイルで提供されることが多いです。
牛たんと言えば「レモン」を想像する方も多いですが、牛たんにレモンを絞ってかけて食べたのは、焼肉屋の叙々苑が発祥と言われています。
焼肉のタンにレモンを付けたのは叙々苑が発祥?タンにレモンという最強コンボの元祖を味わう。 - ゆらゆら。まったり。
味太助に限らず、仙台牛タンではレモンをかけて食べることは発祥当初のメニューには無かったことになります。
せっかく食べるのであれば、牛たん焼だけではなく、味太助で一つのフォーマットが出来たと言われている牛たん定食を食べたいところ。
もちろん4枚のB定食を注文しました。
おそろしいタンタワー。味付け及び仕込み済みのタンが円柱形に積まれたその姿はバベルの塔。
バベルの塔のごとく神様に怒られるんじゃないかな?と思ったのが、味太助の牛たんの塔。
↑焼き台に隠れて見えませんが、下のほうまで全て牛たんの塔となっています。
数多くの牛たんを見てきましたが、カットされた牛たんたちがこのような円柱形に収められている姿は初めて見ました。
見ていると調理手順は、この円柱形の牛たんタワーから、牛たんを必要枚数分ピックアップ⇒隣の炭火の上に置く。⇒焼き上げて終わり。
という超簡単手順でした。
味付けなどしないのかな?と疑問に思いましたが、調べるとこの牛たんタワーになっているタンたちは、前日までに味付け及び隠し包丁含め下ごしらえしたのちにタワー上に形成しているようでした。
下の方のタンは荷重がかかることにより、また違った風味が付加されるのではないか?とか気にしてしまいますが、細かいことは気にしないのが元祖の店らしいじゃないですか。思うに昔からこのやり方でやってきているわけですから、元祖・発祥メニューを食べるうえでは、このやり方が素晴らしいはずです。
「牛たん焼定食」の一つの型を作った味太助。テールスープ、麦ごはん、漬物などのセットもこの店が考えた組み合わせらしい。
牛たん焼定食ときくと皆さん
- 焼いた牛タン
- 麦飯
- テールスープ
- 漬物
をひとセットにして想像するほどに一般的な組み合わせです。
このセットを考案したのも味太助といわれています。
仙台の焼き鳥店「太助」初代店主・佐野啓四郎が、その料理人人生から得た知識・技術を用い、牛タン焼きの専門店を開業したことが「仙台牛タン」の始まりである。当時の日本人の味覚に合う牛の舌部を用いた「牛タン焼き」および同尾部を用いた「テールスープ」を開発。さらに当時の日本人の食生活に合わせて定食屋(主に昼に客が多い)の一汁三菜型にならい、それらを含んだ「牛タン定食」を完成させた。
出典:Wikipedia
味太助の牛たん焼定食を見てみると、
麦飯、テールスープ、漬物とひとセットそろっていることが解ります。
画像では見切れてしまっていますが、他の店でも牛たん焼定食を頼むとかならずついてくる、味噌南蛮は味太助の店主の出身地が山形だったことから、山形県の料理が採用されている点も興味深いです。
「牛タン定食」は、当時の食糧難(農地改革や戦後開拓をしてもコメ不足)を反映した「麦飯」、電気冷蔵庫が普及する前の時代(「三種の神器」参照)に望むべくもない生鮮野菜に代わる「野菜の浅漬け」、同主人の出身地である山形県の伝統料理「味噌南蛮」、エネルギー革命前で都市ガスが一般化していなかった当時の燃料事情を反映した炭火による牛タン焼き、そしてテールスープが構成要素となる。
出典:Wikipedia
では、味太助の牛たん焼がとてもおいしいか?と言われると難しいのが元祖・八正グルメの店探訪の奥ゆかしいところ。
歴史を感じることが出来る味太助ですが、では肝心な牛たん定食の味が素晴らしいか?と言われると難しいです。
美味しいことは美味しいですが、正直にいうとB定食2,300円をだすのであれば、仙台では更に美味しい牛たん定食はあると思います。
味太助の牛たんは皮をむいた後のタンをそのまま輪切りでカットしていますので、焼き上げる職人さんが選んだ牛たんの場所によっては、外側部分の固い部位が多く残るケースもあると思います。
そこが選ばれてしまった際には、牛たんは固いです。
他の店では、歩留を考慮しながらも中心部に出来るだけ近づけようと外側はカットしている店も多数出てきています。
そう考えると大ぶりな牛たんは見た目にはうれしいですが、実際に食べる際には少し当たり外れがあり、かつ固い部分は旨味もすくないのでどうしても評価を下げざるえません。
やはり、元祖・発祥の店はオリジナルだからこそ、そのスタイルから外れることができずに、取り残されるケースがあります。個人的にはそういう評価となりました。
しかし!そんなことは関係ないんです。名物が生まれた店では、料理と共に情報を食べているわけですから、歴史を感じながら恍惚とした顔で牛たんを堪能しましょう。
【本店限定ですが】味太助の接客は「小声接客」おそろしい、実におそろしい。
個人的には居酒屋や寿司屋などでの
いっっっっらっっっしゃ↑~~い、ませ~~~↑↑!!
という元気のよい掛け声が苦手なのですが、そんな私でも驚いたのが味太助の「小声接客」
むしろ無言接客といっても過言ではないほどに、店主・店員が声を発しない、そして発する声が小声。初見の人はおどろくはずです。
店内にはFMラジオが流れているのですが、このラジオの音が無ければ間が持たないほどの静寂が流れています。
公式HPをチェックすると、店主の人がとびきりの笑顔で写っていますが、この写真のような笑顔で笑う事も出来るのですね。と思うほどに、お店では無表情です。
私は全然大丈夫ですが、苦手な人は苦手だと思うので一応ご注意ください。
やはり、人気メニューが生まれた元祖・発祥の店を巡っているといろいろなことが解って楽しいです。
仙台に出張した際には、炉ばた元祖の店もありますし、冷やし中華元祖と言われる店もあります、そしてもちろんこの仙台牛タン焼元祖の味太助もあります。
他の都市に比べてコンパクトに元祖・発祥の店がかたまっているので、食べ歩くこともできますので、是非利用してみてください。