2月20日は「旅券の日」として設定されているのはご存知でしょうか?
旅券とはパスポートのコト、このパスポートを日本で初めて取得したと言われているのが「隅田川浪五郎」
嘘みたいな名前ですが本当の名前。日本で初めて旅券を取得した隅田川浪五郎をご紹介します。
身分に関係なく海外に行けるようになったのは1866年から
ペリーが来航の13年後、慶應2年4月7日に修学と商業の目的に限り、条約締結国に渡航することが可能になったようです。
西暦でいうと1866年。
緊急準備された初めてのパスポートはA4サイズだった模様。
「許可」は出しても初めてのことですので、実物を用意しなければ発行はできません。
当時の幕府の苦労は外務省外構資料館所蔵の「続通信全覧」に記されているようです。
その中でもデザインに関する部分が面白く、さまざまな案があった中からA4サイズのパスポートが採用されています。
パスポートを織物で作成する案や,日の丸を和紙に漉きこ む 案などもあったが,4 月の布 達から半年後10月17日に初めてパスポートが発行された。それはほぼ A4サイズ大で ,上質な厚手の奉書紙を叩いてインクが滲まないよう工夫 が 施してあった。
ちなみに無学な私は奉書紙というものがどういったモノかわからないので調べてみたところ、和紙の一種で幕府の公文書用の紙という説明を見つけました。
その奉書紙を用いて、最初のパスポートは作られたという訳ですね。
個人的には、織物で作られたパスポートも見てみたかった気がします。
隅田川浪五郎は手品師 日本帝国一座(帝国日本芸人一座)という曲芸集団を率いてアメリカに渡った模様。
栄えある第一号パスポート取得となった隅田川浪五郎という人物は結論、手品師だったようです。
帝国日本芸人一座(英語: Imperial Japanese Troupe)
前述した続通信全覧によると、「書面之者亜国え香具渡世として」と記されており、総勢18名の日本帝国一座(もしくは帝国日本芸人一座(英語: Imperial Japanese Troupe))を率いて、外国公演をするためにパスポートを取得したと言われております。
彼は手品師であり,細かく切った白い紙を扇の風で蝶のように舞わせ ,最 後には本物の蝶を飛び出させるという技を得意とした。この一座は興業先々で好評を博し,アメリカでは時の大統領も観覧したという。
最終的な目的地はフランス・パリで開催される万国博覧会だったようですが、現在のように直接フランスに行けるわけではなく、一度アメリカに渡りそこからフランスを目指すルートで移動しています。
移動の傍らに曲芸を披露しながら旅をしていたようです。
日本最古のパスポートは現存せず。代わりに2個目のパスポートは残っている模様。
残念ながら、日本最古のパスポートである隅田川浪五郎のパスポート画像は発見できませんでした。
代わりに2人目の取得者である「亀吉」のパスポートの画像を見つけることが出来ました。
亀吉は曲芸師であり、隅田川浪五郎と共に諸外国を渡り歩いた一座の一員です。
不鮮明な画像ですが、よく見てみると
- 年齢
- 身丈(身長)
- 眼
- 口
等の人相に関わる項目があることが解ります。当時は写真を張り付けての本人確認が出来なかったのか、人相書きをパスポートに書き、そこで本人確認していたようです。
時代を感じます。
現在では日本のパスポートは世界最強のパスポートの一つとなっています。しかし、初めて発券されたパスポートの情報を調べてみると、何事も最初は混乱するのだな。という事がわかり面白いです。